コウヒ(珈琲の超短編)
うのけブックス様より、超短編の作品集を出していただきました!
2月18日は冥王星の日
5月13日はカクテルの日
7月9日はジェットコースターの日
と、毎日ある記念日で超短編を書きました。
なんと48本全部書きおろし! 3年かかった超大作!(ウソです。書くのが遅いだけ(笑))
表紙がこれまたとっても素敵なので、ぜひよろしくお願いします!
kindle版です。
https://www.amazon.co.jp/dp/B088339SP5/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_YRBUEb8CTKZSG
鶴女房の鶴は、真実の姿を見られて去る時、名残惜しくはなかったのだろうか?
経費精算書のデータを会計ソフトに入力しながら、最近そんなことばかり考えている。
というのも十日前に、あれだけ開けてはいけないと言っていた入浴中の風呂の扉を、旦那が開けたからだ。私の本当の姿を見て彼はひっくり返った。昔助けたカピバラが湯船に浸かっていたのだ。無理もない。
見られたからには、あなたの前から消えなければならない。風呂を出て妻の姿になった私がそう言うと、彼はおいおい泣いた。私も泣いた。彼は頼りがいはないけれど、迷わずカピバラを助けるような心優しい人だ。私は彼のことが大好きだった。簡単に離れることなんてできない。
「……ここに残ったら、どうなるの?」
ふと旦那が言った。
確かに、何故正体を知られると去らなければならないのだろう。相手が人間じゃなくてもいいと言ってくれているのなら、残ってもいいのでは。
そういうわけで、私たちは結婚生活を続けることにした。
私には鶴のような美しい羽がなかったので、学校に通って経理の資格を取り、OLとして働き彼に恩返ししている。鶴が機織り機を使えるのだから、カピバラだってパソコンは使える。
本当に、彼のもとを去らなくても問題はないのだろうか。毎日テンキーを叩きながら、不安が頭から離れない。
最近鼻が低くなってきたような気がするのは、気のせいだろうか。
空き地の真ん中に、巨大な水晶が隆起してきた。
ある人は世界中の悲しみが結晶化したものだと言い、ある人はみんなの祈りが具現化したものだと言う。
水晶柱は、氷がきしむような音を立てながら日々成長し、枝を伸ばし、ビル程の高さの立派な樹になった。透明なその肌に夕日が乱反射して温かく輝き、夜にはささやかな星の光を増幅させた。
誰かが、これは世界樹だと言った。
各地から一目見ようとたくさんの人がやってきた。触れれば特別な力が宿ると信じる者たちもいた。死者の蘇生や、不老不死、世界平和など、ありとあらゆる願いがこの水晶樹に託され、いまだ成長を続けるそれは鏡のようにその者たちを表面に映しこんだ。
何十年もの時間をかけ、水晶樹は空をふさぎ、地面も覆い、ひとつの町を飲み込んだ。
まるで琥珀の中の羽虫のように時を止めた町を内包したまま、数多の祈りも願いも関係なく、水晶はただ成長を続ける。
彼女は猫舌でもないのに熱い飲み物を口にしない。定食のみそ汁だって冷め切るのを待って一番最後に手をのばす。
思慮深い彼女は、日々たくさんの言葉を飲み込んでいる。それらはのどの奥に詰まっていて、熱いものを飲むと熱で溶け彼女の意思に関係なくポロっと出てきてしまうのだ。
僕は一度だけそれを聞いたことがある。
いつまでも電車が来ない真冬のホームで、雪まじりの風に身をすくめながらベンチで飲んだ自販機のホットコーヒー。甘い熱でゆるんだ言葉が白い息と一緒に彼女からこぼれ落ちた。いつもより少し低めの、寝言のような不確かな声。聞き間違いかと僕が顔を上げると、彼女が一番びっくりしていた。ゆっくりと見開かれた目を見て、僕が聞いてはいけない言葉だったのだと分かった。
だけどもう一度だけ聞きたくて、僕はあの手この手で温かいものを飲ませようとするけれど、あの日、耳まで真っ赤にしてうつむいた彼女は、絶対に同じ失敗をしない。
海面から突き出た岩の上に今日も『岩じい』はいる。大雪の日も、猛暑の日も、岩の上にただ座り続けていた。岩じいは百年以上前からいる妖怪だと、この町の小学生は本気で信じ怖れていた。だが成長するにつれ誰も気に留めなくなる。道路の真ん中に祀られている木のようなものだ。ふいに思い出しては一瞬不気味に感じる、そんな存在だった。
毎日岩の上で何をしているのか町の誰も分からない。だが僕だけは知っていた。
『この、うち寄せる波がひと時でも止まればあなたと一緒になりましょう』
岩じいにそう言ったのは僕、正確には三つ前の前世の僕(女)だ。岩じいはその言葉を信じ、決して見逃すことがないよう昼も夜も岸から離れなくなった。すでに別の男と恋仲であった僕はそんな岩じいを無視し、やがて存在すら忘れた。
教室の窓から海岸が見える。怖いもの見たさで岩じいを探す。何かが違うと思ったのと同時に、心臓が氷の手で握りつぶされた。こっちを見ている。やっぱり生まれ変わりの僕に気づいているんだ! 執念で何百年も生きている岩じいならそのうち波だって止めてしまいそうで、約束を果たせといつか襲ってくるんじゃないかと、僕は気が狂いそうなほどの不安と闘っている。
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500文字の心臓 投稿作
天気予報士が雨期入りを宣言すると、僕たちは体を適応させるために丸三日眠りにつく。その間、降り続ける豪雨で街は完全に水没し、目覚めるとすっかり水中世界になっていた。
『ハロー、もう目が覚めた?』
透明な水の中で響く電話のベル。僕はふわりとベッドから降りると、泳ぐように歩いて電話を取った。受話器から楽しそうな彼女の声が届く。
『今からそっちに行くよ』
僕は急いで身支度をして外に出た。水面は電信柱よりもずっと上にある。降りしきる雨の波紋がこんがらがって、小刻みに波打っていた。これから二ヵ月、太陽はほぼ姿をあらわさない。まるで世界の終末のように厚い雨雲は空をおおい続ける。僕は復活した首筋のエラで呼吸し、軽くなった体で弾むように道を歩いた。
彼女の部屋で一緒に朝ご飯を食べてのんびり過ごし、夕方になると近所の遊園地へ出かけることにした。水の中で手をつないで歩くのは難しい。僕たちはタイミングを合わせてふわり、ふわりと歩く。気を抜くとずれてしまい彼女はずっと笑っていた。
街灯に照らされた足元を魚がすり抜けていく。乾期のあいだ地面にもぐりこんでいた魚が息を吹き返したんだ。水草の影でネコが魚を狙っているけれど、水中では思い通りに動けず悔しそうだった。
ジェットコースターもない小さな遊園地を、彼女はとても気に入っていた。レトロな観覧車やメリーゴーランドが、砂糖菓子のような甘い光をまとって水の中をまわっている。大量の風船を持ったピエロが空を飛ぶように園内を遊泳していた。雨期の遊園地はいつもよりずっと幻想的だ。
僕たちは観覧車に乗った。ゴンドラは潜水艦のようにゆっくり浮上し、てっぺん近くに来ると水面から出た。天井や窓ガラスにぶつかる雨の音が突然響く。波打つ水面を見下ろすと、水の底で街が淡く発光していた。
『海に沈んだ古代都市みたいね』
遠い昔に滅んだ街の幻影。そこに暮らす僕たちは亡霊のようだ。あわあわとした夢のような光景は美しく、愛おしいけれど寂しさも含んでいる。雨期の間はずっとそんな感覚が続いた。透明な膜ごしに接する世界は現実感がない。自分の意識が、体から離れてしまって長い長い夢を見ているようだ。
永遠に続くような雨も、二ヵ月を過ぎると止み間が出てくる。やがて城壁のように分厚い雲が切れて太陽の光が差し込むと、建物や街路樹が泡立ちはじめた。炭酸水に差したストローみたいにすべてが泡に包まれる。それから数日後、すっきりと晴れ渡った朝に、一斉に泡が街から離れて水面にのぼった。銀色に輝く気泡は流星群のようで、華やかに雨期の終わりを告げる。
水が一気に引いて地上の世界が戻ってくると、本格的な夏がやってくる。
空がラベンダー色に染まると、木々に吊るした星型のランタンに明かりが灯り、『ラクダの紅茶店』がオープンする。
ぽっかり空いた森の広場に店はある。そこで待っているのはラクダの店主と、たま子さんだ。三年前、隊商の一員として砂漠を何往復もしていたラクダの主人と旅人だったたま子さんが出会い、いろいろあってこの森で店を開くことになった。
模様の美しい絨毯も、なめらかなテーブルに品のあるティーセットも、調度品はすべて主人が選んだものだ。それらがエキゾチックな雰囲気を作り出している。たま子さんがていねいに淹れる紅茶がまた絶品だった。たっぷりの茶葉を使って煮出す濃厚なミルクティーは、砂糖を多めに入れて甘くして飲むのがいい。
今日のお客は三組。リスの夫婦とウサギの女の子と人間の私。たま子さんも一緒にテーブルについてみんなでのんびり語り合う。主人の砂漠の思い出話はいつ聞いても興味深い。夜も深くなり、次はコケモモのジャムを持ってくることを約束して私は帰ることにした。入れ違いにキツネとフクロウがやってくる。
『ラクダの紅茶店』は朝が来るまで、あたたかな光と楽しいおしゃべりで満ちている。
黄色い車で高速を走る。空は湖みたいに青く深く透き通って光っている。ここが晴れてたって仕方ないけど、でも最っ高のバカンス日和だ。
突然鳴り響くファンファーレにびっくりして窓の方を見ると、右手に見える工業地帯の煙突から大群の渡り鳥が次々に吐き出されていた。それは瞬く間に空の高い場所に広がって、自由に羽ばたいたかと思うと、みるみる隊列を組んでちゃんと渡り鳥になる。初めて見た。当たり前にある世界は誰かがこうやって作ってるんだ。平日は下ばっかり見てるから気づかないだけ。
遠ざかる書類の山にざまあみろって笑って、シュレッダーの紙屑が町中に雪になって舞えばいい。懐かしい曲をみんなで歌えばもうすぐビルの向こうに海が出てくるから。
やっぱり新しい水着を買えばよかったなって、飛行機の腹を見上げながらちょっとだけ後悔してる。
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