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2020年8月18日 (火)

コウヒ(珈琲の超短編)

 夜は、山から伸びる送電線を伝ってやって来る。だから送電線にロープをかければ、そこから夜が滴り落ちるはずだ。私たちは器を置き、期待を胸に一晩待った。
 きっかけは都会から帰った兄の土産話だった。都には「コウヒ」という飲み物があるらしい。
「真っ黒なんだ。きっと夜を煮詰めて作るんだよ。その証拠に表面に白い液を流し込み、天の川を描いてから飲むのさ」
 兄の話は驚くことばかりだ。広場に集まった村の住人は、夢中になって聞き入った。
「すごく苦いのを我慢して飲み干すと、時間差でコウヒが体中に広がっていく。無数の星が目玉の裏で瞬いて、体の境目が溶けて夜と一体化するんだ。あんな感覚初めてだよ」
 想像ができなかった。兄の表情を見る限りそれは素晴らしい体験のようだ。私たちは是非ともコウヒが飲みたくなった。だが、作り方が分からない。どうやって夜を液体にするのだろう。
 皆で考えたが、かなりの難問だった。送電線の仕掛けも失敗だった。けれど私たちのコウヒへの期待は、益々高まっていく。
 夜な夜な作り方を模索する村人に、村長は眠気覚ましの豆を隣村から取り寄せてくれた。
 念願のコウヒが飲める日もおそらく近い。
 

 

 

2020年5月12日 (火)

記念日超短編集『月のパレード』(kindle)

うのけブックス様より、超短編の作品集を出していただきました!

2月18日は冥王星の日

5月13日はカクテルの日

7月9日はジェットコースターの日

と、毎日ある記念日で超短編を書きました。

なんと48本全部書きおろし! 3年かかった超大作!(ウソです。書くのが遅いだけ(笑))

表紙がこれまたとっても素敵なので、ぜひよろしくお願いします!

 

kindle版です。

https://www.amazon.co.jp/dp/B088339SP5/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_YRBUEb8CTKZSG

2020年5月 5日 (火)

新・異類婚姻譚(超短編Ver.)

 鶴女房の鶴は、真実の姿を見られて去る時、名残惜しくはなかったのだろうか?

 経費精算書のデータを会計ソフトに入力しながら、最近そんなことばかり考えている。

 というのも十日前に、あれだけ開けてはいけないと言っていた入浴中の風呂の扉を、旦那が開けたからだ。私の本当の姿を見て彼はひっくり返った。昔助けたカピバラが湯船に浸かっていたのだ。無理もない。

 見られたからには、あなたの前から消えなければならない。風呂を出て妻の姿になった私がそう言うと、彼はおいおい泣いた。私も泣いた。彼は頼りがいはないけれど、迷わずカピバラを助けるような心優しい人だ。私は彼のことが大好きだった。簡単に離れることなんてできない。

「……ここに残ったら、どうなるの?」

 ふと旦那が言った。

 確かに、何故正体を知られると去らなければならないのだろう。相手が人間じゃなくてもいいと言ってくれているのなら、残ってもいいのでは。

 

 そういうわけで、私たちは結婚生活を続けることにした。

 私には鶴のような美しい羽がなかったので、学校に通って経理の資格を取り、OLとして働き彼に恩返ししている。鶴が機織り機を使えるのだから、カピバラだってパソコンは使える。

 本当に、彼のもとを去らなくても問題はないのだろうか。毎日テンキーを叩きながら、不安が頭から離れない。

 最近鼻が低くなってきたような気がするのは、気のせいだろうか。

 

新・異類婚姻譚(ショートショートVer.)

 

 鶴女房の鶴は、真実の姿を見られて夫の前から去る時、名残惜しくはなかったのだろうか?
 
 経費精算書のデータを会計ソフトに入力しながら、最近そんなことばかり考えている。
 というのも十日前に、あれだけ開けてはいけないと言っていた入浴中の風呂の扉を、旦那が開けたからだ。
「え、……ええっ?」
 私の本当の姿を見た彼は、しばらく硬直した後、目を見開いたまま後ろにひっくり返った。風呂場に嫁の姿はなく、代わりにカピバラが湯船に浸かっていたのだ。驚くのも無理はない。
「どうして約束を破ったの?」
 風呂を出て妻の姿に戻った私が問い詰めると、正座姿の彼は背中を丸めて小さくなった。
「そんなつもりはなかったんだ」
「じゃあ、どんなつもりだったの?」
「その……、開けてはいけないと言われたら、ぜんぜん開ける気がなかったドアも、不思議と開けたくなってしまうものだろう?」
 彼は上目遣いで私を見る。珍しく怒っている私に、相当びびっているようだ。
「そう言うモノを開けて、幸せになった昔話はある?」
「ないのかな。……すぐには思いつかないけど。……でも、まさか自分が昔話の登場人物になってるとは思わなかったんだよ」
 うなだれた旦那は消え入りそうな声で言った。確かにそうかもしれない。私だって彼に助けられるまでは、ただのカピバラだと思っていた。
「本当の姿を見られたからには、私はあなたのもとを去らなければなりません」
 厳かに私が言うと、彼はこぼれるほど大きく目を見開いた。
「なんでっ?」
 旦那があまりにも純粋に驚くので、私の方がびっくりしてしまう。
「なんでって、そういうものでしょう。鶴も蛇も、みんな帰ってしまったじゃない」
「僕は、まるちゃんがカピバラでもいいよ。なんの問題もない。変わらずここにいてよ」
「そう言ってくれるのは嬉しいけれど、これは決まりなの」
「それって、なんの決まり?」
 私は言葉に詰まってしまった。
 そういうものだと思い込んでいたけれど、言われてみればなんの決まりなのだろう。
 そもそも、なぜ正体を知られると去らなければならないのか。相手が人間じゃなくてもいいと言ってくれているのなら、何も問題がないのでは……?
「……あのさ。まるちゃんって、もしかして、青山動物園のマルちゃん?」
 彼はおそるおそるという風に聞いてきた。私はその言葉にドキリとする。何も答えない私に、彼は不安そうに眉尻を下げた。
「カピバラのマルちゃんって知ってる? 数年前に動物園から脱走して、いまだに見つかってないんだ……」
 もちろん知っている。
「僕さ、むかし青山動物園で、カラスに傷つけられたカピバラを助けたことがあるんだよ。もしかしたら僕が助けた子が、脱走したマルちゃんだったんじゃないかなって。……それで、行方不明のマルちゃんは今どうしているんだろうって、ずっと心配してて」
 カピバラなんかをずっと心配していたという旦那の言葉にウソはない。だって、彼はときどき、独り言のように呟いていたのだ。あのカピバラは今どうしているのだろう。元気にしているのかな。幸せだったらいいのだけれど。そのたびに私は正体がバレているのではないかとドキドキしていた。
 叱られた子供のように萎縮してている彼を見ていると、可哀想な、でも愛おしいような気持ちが湧いてきた。
「私は嬉しかったの。……あなたが、助けたカピバラのことをずっと覚えていてくれて」
 できるだけやさしい声で私は言った。ゆるゆると彼が目を見開く。
「……じゃあ、まるちゃんは」
 こくりと頷くと、太陽が雲から出てきたように旦那の顔は明るくなった。
「ああ! よかったー」
 彼は私を抱きしめた。背中が小さく震えている。マルが生きていることが分かり、心から安堵して泣いているのだ。私も涙があふれてきた。彼は頼りがいはないけれど、こんなにも心優しい人だ。私は彼のことが大好きだった。簡単に離れることなんて、できるわけがない。
 
 
 そういうわけで、私たちは今まで通り結婚生活を続けることにした。
 私には鶴のような美しい羽がなかったので、学校に通って経理の資格を取り、OLとしてお給料を稼いで彼に恩返ししていた。鶴が機織り機を使えるのだから、カピバラだってパソコンぐらい使える。
 世間的には、私達は共働きの夫婦だ。
 私が料理と洗濯をして、彼が掃除とごみ捨てをする。朝は一緒に家を出てそれぞれの会社に向かった。変わらない毎日の繰り返し。
 私の正体がバレてから変化したことがひとつ。
 旦那は毎晩のように私の入浴をのぞくようになった。湯船の中で目を細めているカピバラ姿の私を、彼は満ち足りた表情で見つめる。
「まるちゃんを見ていると、本当に癒されるなあ」
 しみじみと言って、濡れた私の頭をそっと優しくなでた。動物園にいたころから、どうして人間はカピバラが風呂に入っているだけで喜ぶのかよく分からなかった。けれど、彼がこんなことで幸せそうに笑ってくれるのなら、それもいいかなと思う。
 
 何も起こることなく、毎日は穏やかに過ぎた。
 本当に、彼のもとを去らなくても問題はないのだろうか。会社で数字を打ち込みながらも、不安が頭から離れない。
 やっぱり大丈夫だったねと能天気に笑っている旦那の横で、神様が、動物園の園長が、そのうち罰を与えに来るのではないと、私は内心ビクビクしていた。
 
 
 あれから一年が過ぎた。
 私たちの間に三つ子が生まれた。ふたりの男の子と、女の子。三人ともちゃんと人間の姿をしていて本当に安心した。ただ、成長は同時期に生まれた子たちより少し、いや、かなり早い気がする。あと、私と同じでお風呂に入ると意思とは関係なくカピバラに戻ってしまった。
「どうしたら僕もカピバラになれるんだろう」
 小さな浴槽の中で私たちが身を寄せ合う姿を見て、旦那はそんなことを口にするようになった。どうやら仲間に入りたいらしい。
 彼は本気でカピバラになる方法を考えていたようだ。ある晩、部屋の真ん中に敷いた布団の上で乗りかかってくる三人の子供の相手をしていた彼は、唐突に、名案を思い付いたという顔で私を呼んだ。
「僕がカピバラに助けられたらいいんだ! そうしたら、恩返しするためにカピバラになれるんじゃないかな」
 彼の目はきらきらと輝いている。
「……それで、あなたはその助けてくれたカピバラの旦那さんになるの?」
 冷ややかな私の声に、彼はしょんぼりと肩を落とした。
「そうか。それじゃあ意味がないよね。いい考えだと思ったんだけど……、あ、そうか!」
 子供たちを布団の上に振り落とし、彼は私の前に正座した。手荒な扱いが楽しかったのか、三人ははしゃぎながら旦那の背中によじ登っている。それにも負けずに彼は言った。
「まるちゃんが、僕を助けてくれたらいいんだ。そしたらまるちゃんに恩返しできるよ」
 できるよと言われても、それはただ妻が旦那を助けただけだし、そもそも私たちは結婚しているのだから彼が恩返しのためにカピバラになる必要もないので、なれないんじゃないかな。という私の考えは、口にすることができなかった。あまりにも彼が嬉しそうだったから。
 
 それから旦那は、早朝のゴミ捨て場を散歩するようになった。私と同じように、カラスに襲われるつもりらしい。
「危ないから、まるちゃんはカラスたちが遠くに行ってから来てね」
 彼はそう言うけれど、私にはこの作戦がうまくいくとは思えなかった。
 彼はカピバラに助けられなければならない。ということは、助けに行く私は人間の姿をしていては意味がないのだろう。
 団地のゴミ捨て場を歩くカピバラを、見かけた人たちはあたたかい目で見守ってくれるだろうか。
 数年前に脱走したカピバラが奇跡的に見つかったと、動物園に強制的に連れ戻されないだろうか。
「パパなにしてるの?」
 ゴミ捨て場に佇んでいる旦那をベランダから見守っていると、私の隣で手すりの間から下をのぞき見ている娘が言った。
「カラスを待ってるのよ」
「どうして?」
「どうしてかしらね」
 娘の素朴な質問に私は答えることができない。
 見るからに怪しい人間に警戒して、いつも集まってきたカラスが近づかなくなった。団地の人たちはカラス被害が激減して喜んでいるが、ゴミの日に早朝から現れる旦那の存在に不信感を募らせはじめている。
「もしかしたら、これが罰なのかしら」
 本当の姿を知られたのに私が去らなかったせいで、彼を歪めてしまったのかもしれない。……いや、元々こんな人だった気がしないでもないけれど。
「ママー、おなかすいたよー」
 部屋の中で息子たちが騒いでいる。そろそろ旦那も諦めて帰ってくる頃だ。
 朝食の準備をする為に、私は娘と一緒に室内に戻った。

 

 

2018年3月21日 (水)

ある事象について(超短編)

 空き地の真ん中に、巨大な水晶が隆起してきた。

 ある人は世界中の悲しみが結晶化したものだと言い、ある人はみんなの祈りが具現化したものだと言う。

 水晶柱は、氷がきしむような音を立てながら日々成長し、枝を伸ばし、ビル程の高さの立派な樹になった。透明なその肌に夕日が乱反射して温かく輝き、夜にはささやかな星の光を増幅させた。

 誰かが、これは世界樹だと言った。

 各地から一目見ようとたくさんの人がやってきた。触れれば特別な力が宿ると信じる者たちもいた。死者の蘇生や、不老不死、世界平和など、ありとあらゆる願いがこの水晶樹に託され、いまだ成長を続けるそれは鏡のようにその者たちを表面に映しこんだ。

 何十年もの時間をかけ、水晶樹は空をふさぎ、地面も覆い、ひとつの町を飲み込んだ。

 まるで琥珀の中の羽虫のように時を止めた町を内包したまま、数多の祈りも願いも関係なく、水晶はただ成長を続ける。

2018年2月28日 (水)

禁断の言葉(超短編)

 彼女は猫舌でもないのに熱い飲み物を口にしない。定食のみそ汁だって冷め切るのを待って一番最後に手をのばす。

思慮深い彼女は、日々たくさんの言葉を飲み込んでいる。それらはのどの奥に詰まっていて、熱いものを飲むと熱で溶け彼女の意思に関係なくポロっと出てきてしまうのだ。

 僕は一度だけそれを聞いたことがある。

いつまでも電車が来ない真冬のホームで、雪まじりの風に身をすくめながらベンチで飲んだ自販機のホットコーヒー。甘い熱でゆるんだ言葉が白い息と一緒に彼女からこぼれ落ちた。いつもより少し低めの、寝言のような不確かな声。聞き間違いかと僕が顔を上げると、彼女が一番びっくりしていた。ゆっくりと見開かれた目を見て、僕が聞いてはいけない言葉だったのだと分かった。

だけどもう一度だけ聞きたくて、僕はあの手この手で温かいものを飲ませようとするけれど、あの日、耳まで真っ赤にしてうつむいた彼女は、絶対に同じ失敗をしない。

2017年9月 7日 (木)

永遠凝視者(超短編)

 海面から突き出た岩の上に今日も『岩じい』はいる。大雪の日も、猛暑の日も、岩の上にただ座り続けていた。岩じいは百年以上前からいる妖怪だと、この町の小学生は本気で信じ怖れていた。だが成長するにつれ誰も気に留めなくなる。道路の真ん中に祀られている木のようなものだ。ふいに思い出しては一瞬不気味に感じる、そんな存在だった。

毎日岩の上で何をしているのか町の誰も分からない。だが僕だけは知っていた。

『この、うち寄せる波がひと時でも止まればあなたと一緒になりましょう』

 岩じいにそう言ったのは僕、正確には三つ前の前世の僕(女)だ。岩じいはその言葉を信じ、決して見逃すことがないよう昼も夜も岸から離れなくなった。すでに別の男と恋仲であった僕はそんな岩じいを無視し、やがて存在すら忘れた。

 教室の窓から海岸が見える。怖いもの見たさで岩じいを探す。何かが違うと思ったのと同時に、心臓が氷の手で握りつぶされた。こっちを見ている。やっぱり生まれ変わりの僕に気づいているんだ! 執念で何百年も生きている岩じいならそのうち波だって止めてしまいそうで、約束を果たせといつか襲ってくるんじゃないかと、僕は気が狂いそうなほどの不安と闘っている。

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500文字の心臓 投稿作

2017年6月11日 (日)

雨期(超短編)

 天気予報士が雨期入りを宣言すると、僕たちは体を適応させるために丸三日眠りにつく。その間、降り続ける豪雨で街は完全に水没し、目覚めるとすっかり水中世界になっていた。

『ハロー、もう目が覚めた?』

 透明な水の中で響く電話のベル。僕はふわりとベッドから降りると、泳ぐように歩いて電話を取った。受話器から楽しそうな彼女の声が届く。

『今からそっちに行くよ』

 僕は急いで身支度をして外に出た。水面は電信柱よりもずっと上にある。降りしきる雨の波紋がこんがらがって、小刻みに波打っていた。これから二ヵ月、太陽はほぼ姿をあらわさない。まるで世界の終末のように厚い雨雲は空をおおい続ける。僕は復活した首筋のエラで呼吸し、軽くなった体で弾むように道を歩いた。

彼女の部屋で一緒に朝ご飯を食べてのんびり過ごし、夕方になると近所の遊園地へ出かけることにした。水の中で手をつないで歩くのは難しい。僕たちはタイミングを合わせてふわり、ふわりと歩く。気を抜くとずれてしまい彼女はずっと笑っていた。

街灯に照らされた足元を魚がすり抜けていく。乾期のあいだ地面にもぐりこんでいた魚が息を吹き返したんだ。水草の影でネコが魚を狙っているけれど、水中では思い通りに動けず悔しそうだった。

ジェットコースターもない小さな遊園地を、彼女はとても気に入っていた。レトロな観覧車やメリーゴーランドが、砂糖菓子のような甘い光をまとって水の中をまわっている。大量の風船を持ったピエロが空を飛ぶように園内を遊泳していた。雨期の遊園地はいつもよりずっと幻想的だ。
 
僕たちは観覧車に乗った。ゴンドラは潜水艦のようにゆっくり浮上し、てっぺん近くに来ると水面から出た。天井や窓ガラスにぶつかる雨の音が突然響く。波打つ水面を見下ろすと、水の底で街が淡く発光していた。

『海に沈んだ古代都市みたいね』

遠い昔に滅んだ街の幻影。そこに暮らす僕たちは亡霊のようだ。あわあわとした夢のような光景は美しく、愛おしいけれど寂しさも含んでいる。雨期の間はずっとそんな感覚が続いた。透明な膜ごしに接する世界は現実感がない。自分の意識が、体から離れてしまって長い長い夢を見ているようだ。

永遠に続くような雨も、二ヵ月を過ぎると止み間が出てくる。やがて城壁のように分厚い雲が切れて太陽の光が差し込むと、建物や街路樹が泡立ちはじめた。炭酸水に差したストローみたいにすべてが泡に包まれる。それから数日後、すっきりと晴れ渡った朝に、一斉に泡が街から離れて水面にのぼった。銀色に輝く気泡は流星群のようで、華やかに雨期の終わりを告げる。

水が一気に引いて地上の世界が戻ってくると、本格的な夏がやってくる。

2017年5月14日 (日)

ラクダの紅茶店(超短編)

 空がラベンダー色に染まると、木々に吊るした星型のランタンに明かりが灯り、『ラクダの紅茶店』がオープンする。

 ぽっかり空いた森の広場に店はある。そこで待っているのはラクダの店主と、たま子さんだ。三年前、隊商の一員として砂漠を何往復もしていたラクダの主人と旅人だったたま子さんが出会い、いろいろあってこの森で店を開くことになった。

 模様の美しい絨毯も、なめらかなテーブルに品のあるティーセットも、調度品はすべて主人が選んだものだ。それらがエキゾチックな雰囲気を作り出している。たま子さんがていねいに淹れる紅茶がまた絶品だった。たっぷりの茶葉を使って煮出す濃厚なミルクティーは、砂糖を多めに入れて甘くして飲むのがいい。

 今日のお客は三組。リスの夫婦とウサギの女の子と人間の私。たま子さんも一緒にテーブルについてみんなでのんびり語り合う。主人の砂漠の思い出話はいつ聞いても興味深い。夜も深くなり、次はコケモモのジャムを持ってくることを約束して私は帰ることにした。入れ違いにキツネとフクロウがやってくる。

『ラクダの紅茶店』は朝が来るまで、あたたかな光と楽しいおしゃべりで満ちている。

 

2017年2月12日 (日)

Bon voyage (超短編)

 黄色い車で高速を走る。空は湖みたいに青く深く透き通って光っている。ここが晴れてたって仕方ないけど、でも最っ高のバカンス日和だ。

 突然鳴り響くファンファーレにびっくりして窓の方を見ると、右手に見える工業地帯の煙突から大群の渡り鳥が次々に吐き出されていた。それは瞬く間に空の高い場所に広がって、自由に羽ばたいたかと思うと、みるみる隊列を組んでちゃんと渡り鳥になる。初めて見た。当たり前にある世界は誰かがこうやって作ってるんだ。平日は下ばっかり見てるから気づかないだけ。

 遠ざかる書類の山にざまあみろって笑って、シュレッダーの紙屑が町中に雪になって舞えばいい。懐かしい曲をみんなで歌えばもうすぐビルの向こうに海が出てくるから。

 やっぱり新しい水着を買えばよかったなって、飛行機の腹を見上げながらちょっとだけ後悔してる。

 

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