祈り(超短編)

 冷たい水に足を浸し、少女は手紙を湖面に浮べる。

 白い紙切れは湖の真ん中へと滑るように流されていった。水が滲み手紙は沈んでいく。少女が綴った言葉は便箋から一言ずつ剥がれ、湖の底に降り積もる。

 少女が立ち去った後、湖の中央から水琴窟の音色のような硬質な音が鳴った。同時に仄かに光を帯びた波紋が広がっていく。

 またひとつ音が鳴り、波紋が生まれた。

 遠い遠い昔から、たくさん人がこの湖に手紙を流してきた。届かない、届けることの出来ない言葉は、湖の底で幾層にも重なって沈んでいる。

 長い年月眠っていた言葉は、ふいに浮かび上がる時が来る。泡のように水面で弾け、その時あの美しい音が鳴るのだ。

 ひとつ、ふたつと弾けたものが呼び水となって、いくつもの言葉がまるで空に降る雨のように浮き上がった。高さの違う音が次々と生まれ音楽になる。光の同心円は複雑に重なって、湖全体が白く発光したようになった。

 驟雨のようなその音色は森を越え少女の村にも届く。

 伝わることのなかったいつかの思いを乗せて、音楽は優しく世界を包み込む。

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乗車券(超短編)

 夜道に浮かび上がる自動販売機の光。

 意識して見ていれば、他と比べてほんの少し温度の高い光を放つものが見つかる。

 その販売機は、商品とボタンの数が合わない。ボタンがひとつ多いのだ。

 試しに硬貨を入れてあまったボタンを押してみる。にぶく機械が動く音がして、何かが取り出し口に落ちた。

 小さな紙切れだ。水色の厚手の紙に数字と文字が印字されている。何かの乗車券のようだった。字はかすれていて読み取りにくい。光の中で角度を変えながら目をこらしていると、狭い道に無理に侵入してくるバスがある。

 手の中の紙切れと同じ色をしたそのバスは、自動販売機の前で停止し前の扉が開いた。無表情な運転手が乗車券をよこせとばかりに腕を伸ばしてくる。引き寄せられるようにステップをあがると、扉は閉まりバスは動き出した。運転手の他は、一番後ろの席に小さく座る少女がひとり。

 フロントガラスの上、行き先に書かれた町の名前をあなたは知らない。

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宝探し団 (超短編)

 残業ですっかり遅くなった帰り道、背の低い黒ずくめのおじさん集団とすれ違った。一緒に歩いていた同僚が振り返って「宝探し団だ!」と言う。最近、近辺の複数の公園の砂場が、夜のあいだに全て掘り返されるという事件があり、宝探し団の仕業だとのうわさが広まっていたのだ。僕たちは無言でうなずき合い、黒ずくめ集団の後を追ってみることにした。
 いくつかの角を曲がると、川の堤防の前に出た。宝探し団はまわりを気にするでもなく、準備していたはしごを堤防にかけて、ひとりずつのぼっていく。全員が堤防の上に立つと等間隔に並び、背中に差していた、たも網をいっせいに掲げた。たも網の柄はめちゃくちゃ長い。
 同僚が僕のそでをひっぱった。近くの橋を指さしている。ここからでは宝探し団が何をするのかさっぱり見えないので、僕たちは橋の上に移動した。
 一番手前にいるのがリーダーのようだった。彼の号令とともに団員たちは、「エメラルドー、ほい! エメラルドー」と、野太い声にあわせて川の水をざぶざぶとすくいはじめた。やがて彼らが引き上げた網には、きらきらと緑色に輝く小さな石のようなものがついていた。「今日は少ないな」「結晶化はまだ早かったか」そんな会話が聞こえてくる。そしてリーダーの合図で宝探し団はすばやく去っていった。

 彼らが網を入れていた川面は、すぐそばのビルの、緑色のネオンがあざやかに映り込んで、大きくゆらいでいる。

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パール (超短編)

 しゃん。しゃん。しゃん。

 霧雨が降る夜に、鈴の音が等間隔に響く。

 森から続く道。鈴を鳴らす少年の後ろを、うさぎの着ぐるみをかぶった幼い少女たちがついていく。彼女たちが持つランタンが、暗い夜道を照らしていた。

 道の先に、その一帯だけやわらかな光に満ちている場所があった。彼らはそこへ向かっている。

 光源は花だった。道の両脇に並ぶ木に、和紙で作ったような白い花がぎっしり咲いている。その花が内側から光って、まるでシャンデリアのようだった。

 鈴が鳴りやむと、うさぎの少女たちも立ち止まった。彼らはそろって空を見上げる。

 霧雨に混ざって、空から大粒の雫がゆっくりと、螺旋階段を転がるように落ちてきた。近づくにつれ、雫は花の灯りを吸って白く発光していく。地面にぶつかるとコツンと硬い音がして、彼らの足元に転がった。雫はいくつも落ちてくる。

 うさぎの少女たちは、丸いしっぽを左右に振りながら、散らばる白い雫を拾っておなかのポケットに集めた。霧雨がやみ、落ちてきた雫を拾い集め終わると、少年が鈴を鳴らした。少女たちは急いで整列する。

 しゃん。しゃん。しゃん。

 少年を先頭にして、来たときと同じように彼らは森に帰っていった。

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純愛 (超短編)

 彼女が不治の病にならないかな。

 そしたら、僕は仕事なんかほったらかして、朝も夜も彼女のそばにいて、永遠の愛を誓って、でも彼女が死んじゃった数年後に違う女の人と出会ってしまって、罪悪感にさいなまれてみるのに。

 僕たちがケンカばかりするのは、彼女が健康すぎるからなんだ。

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守り神 (超短編)

 ある日、蛸が家にやってきたのだそうだ。
「玄関の門柱にのってたの。にょろんと」
 はじめて彼女の家に遊びに行ったとき、玄関の引き戸についているへんてこな飾りに見入っていると、彼女が話してくれた。
「その蛸が『先日のお礼に参りました。私を飯田家の守り神にしてください』って言ってね」
 ちょうど日曜日だったので家族全員そろっており、その場で会議が開かれたのだが、誰一人、最近蛸にかかわった記憶がなかったので、祖父が代表して、何かの間違いではないかと蛸に話してみた。が、頑固な蛸は私が間違うわけがないと言ってきかない。
「もう全然話にならないから、玄関の戸をピシャって閉めてやったの。そしたら蛸が戸にはりついちゃって、そのまま守り神になっちゃったのよね」
「守り神なんだ、これ」
 蛸と言われれば蛸にしか見えなくなったへんてこな飾りに僕は顔を近づける。
「うん。まあ自称だけど。あとで分かったことなんだけど、この蛸を助けたのは、向こうの筋の山田さん家のおばあちゃんだったらしいのよ。でも判明したときにはもう吸盤が取れなかったの。それが十五年前のこと」
 かわいい話でしょ、と彼女は守り神の丸い部分をなでまわした。僕は神様に手を合わせてから、彼女の家に入った。

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手品通り(超短編)

 最近越してきた町には、手品通りがある。

 駅前のさびれた商店街の、一本中に入った薄暗い筋がそうだ。

 自転車では行き来できないほど狭い通りには、スナックみたいな古びた店がずらりと並んでいる。店の窓はほとんど開いていて、手品師が通りすがりの人に向かって黙々と手品を繰り広げていた。帽子からハトを出したり、絡まっている輪を一瞬で外したり、手品の種類はさまざまだ。

 仕事の帰り、たまにこの道を選んで帰ってみるのだが、いきなり「このカードですね」とトランプを見せられても、何のことなのかさっぱり分からない。

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手紙 (超短編)

 春のやわらかな空に、気球が浮かんでいた。

 草原を渡ってきた風が町中の洗濯物を揺らす穏やかな午後。晴れた空から何かが降ってくるのを、人々は立ち止まり、または窓から顔を出して見守っていた。次々と舞い落ちてくるもの。それは気球からばらまかれた手紙だった。

 風に流され、最終的に自分の目の前に落ちてきた手紙を拾い上げる。砂ぼこりをていねいに払ってからあて先に書かれた知らない名前を眺め、封を切った。その場で開封せずに家に持ち帰る者もいたが、彼らも落ち着いてからペーパーナイフで慎重に切り開いた。手紙の内容はさまざまだった。

 夏の休暇に孫を連れて帰るという知らせ。船が難破し行方不明になっていた夫の死亡通知。何をしてもうまくいかない男が友人に宛てて書いた二十通目の遺書。

 仕立屋の娘が手にしたものは、サーカス団の裏方で働いている少年が、海辺の町に残してきた恋人に宛てた長い長い手紙だった。相変わらず毎日怒鳴られてばかりだけれど、最近玉乗りの練習をさせてもらえるようになったこと。サーカスの花形である空中ブランコ乗りと、道化師の仲がものすごく悪いこと。そして、キミに会いたくて仕方がないと、何回も熱く繰りかえされていた。

 少女は三回読み直して、ていねいに便箋を折りたたみ、服の内ポケットに入れた。恋愛の経験がまだない少女は、手紙の中のあまい言葉を反芻し、胸の高鳴りを味わう。

 突風で郵便物が詰まった袋をひとつ落としてしまった気球は、回収することもできずに春の空を流れていく。

 草原に囲まれた、穏やかで退屈なこの町から一生出て行くことのない彼らは、数年に一度このようなやり方で、遠い世界の断片を手に入れるのだ。

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バスルーム (超短編)

 彼女を泣かせてしまった。

 風呂場にこもって三時間。彼女はバスタブの中で服を着たまま小さく座り、子供みたいに声をあげて泣いている。からっぽだったバスタブに半分ぐらい涙がたまっても、涙は涸れそうもなかった。

 僕は冷たい洗い場に立って、謝罪と反省と約束のことばを順番にくり返している。彼女のわざとらしい泣き声と、僕の上っ面だけのことばは、壁にわんわん反響して、もう原形をとどめていなかった。前の彼女と飲みに行ったぐらいでなんで泣くんだよ面倒くせえな。という僕の本心なんかバレバレで、でも彼女だって頭の中では自分の可哀想ぶりを友達に話すシミュレーションをくり返していることぐらい、僕だってすっかり見えている。

 この状況にいい加減うんざりしてきた頃。何かおかしいと気づいた時にはすでに、僕の体は風船みたいに急速にしぼみはじめていた。バスタブの側面が途方もない壁になってしまう前に僕はへりの上に立った。けれどつるつるすべって溜まった涙の中に落ちてしまい、嵐のようにうねる水におぼれそうになって、必死に彼女のひざにしがみついた。

 指人形サイズの僕が死にもの狂いでしがみついているのを見て、さっきまで泣いていた彼女は肩をふるわせて笑い、その振動で波が立って僕がさらに溺れそうになるのがおかしくて、いつまでもいつまでも笑っている。

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チューリップモドキ (超短編)

 埋めた覚えもないのに、チューリップらしき芽が三つ庭の真ん中に出ていた。これから夏を迎えるというのに誰の仕業なのかと家じゅう聞きまわったら、庭に出てきた祖母が「ああ、これはチューリップもどきだね」と言った。たっぷり水をあげて育てればおもしろいものが見れるよと、意味ありげに笑う。

 それから毎朝水をやるのが日課になった。芽は順調に伸びてきたが、日当たりに恵まれているにもかかわらず、真っ黄色になってしまった。数日たつと成長が止まり、その芽を押し上げるように土から白くて丸いものが突き出てきた。それはカビのようなほわほわしたものに包まれている。とんでもないことになっているのではないかと祖母に相談したが、一目見て「順調、順調」とすぐに去ってしまった。

 三日後、水やりをしている時に三つの芽がぱくりと割れてギョエーと鳴いた。私の悲鳴で家族が出てくる。泣きそうな顔で私は祖母に説明を求めた。

「鳥だよ。土から生えてくる珍しい種類でね。ここに目があるだろう」祖母の指さすところに、黒い虫のようなものが二つギョロギョロと動いている。

 まだ体ができていないから引っこ抜くなと言われた。完全な鳥になるまで三ヶ月はかかるらしい。夜明けとともに彼らは鳴き始める。私は毎日びくびくしながら水をやった。首が伸びてくるとぶんぶん振りまわして不気味に鳴いた。庭の中央に鳥の首が生えている光景は異様だ。

 学校が夏休みに入ったころ、ようやく祖母が動いた。腕まくりをし、野菜を収穫するかのように鳥の首を両手でつかむ。揺り動かしながらひっぱると、土の中から胴体が出てきた。鳥の翼には美しい赤い模様があった。広げるとまるで花のように見える。一羽だけ私もなんとか引き抜き、祖母の真似をして首を持ったまま軽く振って土を落とし、そのまま空へ振り上げた。花が散るときのようなあっけなさで三羽はそろって青空へ高く飛んでいった。

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